瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その10 かがわ・山なみ芸術祭~

前号では「日記風瀬戸芸祭」ではなく、芸術文化と経済の関わりを少しばかり議論してきました。日本の経済発展をテーマにしたとき、芸術文化が俎上に乗るのは経済発展の飛躍といえます。そうした時代がすでに来ているという証左でもあります。

さて、今回は瀬戸芸祭に連動して香川の山間部では「山なみ芸術祭」が開催されていました。その様子を「日記風」に記しておこうと思います。山間部でも地域振興をめざして、芸術文化による地域政策が試みられています。

(1)かがわ・山なみ芸術祭「しおのえ@新たなる源泉」

梅雨入り宣言のなか快晴に恵まれた平日に、塩江・山なみ芸術祭の会場に向かいました。午後の遅い時間であったので、鑑賞者と思われる人に2~3人ばかりでした。まずは、塩江の岩部神社を参拝していると、境内に現代アートを発見しました。しかし、どう見ても現地の風景とミスマッチしているのではとの違和感はぬぐえません。神社の境内が適当に広いだけに、場所的適切さからだけのアート展示ではないかと思いました。

塩江温泉郷の温泉通りに設置されている総合案内所に向かいました。瀬戸芸祭パスポートを持参して提示している鑑賞者2人訪れていました。案内人が「ここは瀬戸芸祭とはちがいますよ」「ここにはスタンプはありません」と応対していました。そのやり取りを聞いていて、瀬戸芸祭への対抗意識が表れていると感じました。山なみ芸術祭のイラストマップを見ると、<過疎集落等自立再生緊急対策事業(温泉通り活性化)>とありました。

総務省は平成24年度補正で、この事業に補助金をつけているようです。その趣旨は、①過疎集落等を対象に、地域資源や地場産業を積極的に活用して地域経済の活性化を図るとともに、日用品の買物支援といった日常生活機能の確保などの課題に総合的に取り組む、②拠点施設整備等のハード事業や住民主体による持続可能な仕組みづくり等のソフト事業を一体的に実施する、③地域経済を支える中小企業・地元小規模事業者への受注を促し、地域経済を活性化する、とあります。

山なみ芸術祭は、瀬戸内の島々が開催地の瀬戸芸祭に対抗して、国の補助事業の過疎集落活性化企画に乗っかっての「芸術祭」でした。瀬戸芸祭の中間期日で会期外の6月1日(土)から6月23日(日)と短期間のはざ間の設定でした。

メイン会場の温泉通りには、現代アート作品と県内の伝統工芸作品のミックス展示で芸術文化が混在しているようで、何とも統一感がありませんでした。伝統工芸では、讃岐のり染め、手描き鯉のぼり、保多織、張子虎、欄間彫刻、竹一刀彫、志度桐下駄、高松張子、水引細工、一関張などです。ただ興味深かったのは、現代アートの作者が香川県出身者がほとんどだったことです。

塩江美術館は閉館していました。外庭には現代アートが展示されていましたが、これも場所的ミスマッチの感がぬぐえませんでした(現代アートへの共感は主観に拠るところが大きい)。つまり、作品に普遍性が感じられず、ついには撤去されることを前提にしたものであろうと思います。

(つづく)

田村彰紀/月報352号(2013年11月号)

◇2014年7月『住民と自治』&かがわ自治研「月報」をお届けします

◇『住民と自治』の主な記事

●特集●観光サイコウ⤴

  • 持続可能な観光を考える西村幸夫
  • 持続可能な観光まちづくりへの処方箋―由布院米田誠司
  • 観光を軸とした持続的な地域振興と「域学連携」への期待藤田武弘
  • 活動を「資源」としたエコツアーで地域おこし傘木宏夫
  • 三条市のオープンファクトリー戦略―観光資源を担う存在としての工場―澁谷一真
  • 「環境」と「人」とともに生きるリゾート前原功治
  • 地域とともに農と文化にふれる教育旅行37周年大和田しずえ
  • ユニバーサルツーリズムとトラベルヘルパーのこれから篠塚恭一
  • 2014年地方自治法改正を読み解く白藤博行
  • エネルギー政策はいかにあるべきか―新「エネルギー基本計画」をめぐって―植田和弘
  • 生活保護の現場の今~制度改革がもたらすもの~ 衛藤 晃
  • 書評 城塚健之・尾林芳匡・森裕之・山口真美編著
    『これでいいのか自治体アウトソーシング』穂積匡史

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◇「月報」の記事

 〇平成26年度香川県当初予算を議論する(中) 田村彰紀

 〇瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論(⑭) 田村彰紀

 〇いいかげん地域学(その6・幻の大河を追う) 佐藤孝治

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その9 閑話休題~

これまでの4回の連載では、瀬戸芸祭・春期の現代アートを歩いてきました。3月20日から4月21日までの33日間の鑑賞者(来場者数)は、26万3千人で、3年前に比べて1.3倍を記録したそうです。

もっとも、沙弥島のように春期のみの開催だったことも増加の一因でしょう。沙弥島ではおよそ7万7千人の来場があり、同時期の直島6万3千人を上回っています。

2013瀬戸内国際芸術祭春会期来場者数
四国新聞2013年4月23日Webサイト記事から

今回は、閑話休題として小村智宏・おむらともひろ氏(三井物産戦略研究所経済調査室長、2011年7月)の経済と芸術に関する見解を素材にしたいと思います。情報を収集していると、便利なインターネットで検索発見したものです。熟考しながら読み解いていこうと思います。

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瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その8 女木島~

 

8.女木島

 

(1)天に雲ひとつなく快晴だ。急いで「瀬戸芸祭ガイドブック」を開き、女木島行の船便を調べる。高松港~女木島~男木島を航行するフェリーは、便数が少ない。平日だが人気の女木島なので、混雑具合を見計らう必要があるためだ。大混雑であれば、小豆島の草壁方面に切り替える算段にしていた。

切符販売の窓口に聞くと、積み残しが出ることはないとの情報であったので、予定通り女木島を散策とした。それでもフェリー客室は大勢の人で、座席の空きはない。

目立つのは中高年のグループで、リュックを背負い、なかにはストックを用意しているものもいる。あとは子ども連れの家族で、これは春休みのピクニックといったところだ。

女木島は高松港から見える位置にある。船内放送によると、「めおん2」の全長やら定員などの解説の後、「15分間の船旅をお楽しみください」とのこと。よくできたもので、英語でも説明をしている。見渡すと数人の外国人も乗船していた。

(2)女木島は通称<鬼が島>と呼ばれている。瀬戸芸祭インフォーメーション「鬼の館」で、作品設置場所と散策ルートの地図を求めたが、「もうないんです」の返事だ。コピーすれば難ないことだが、あまりにも丁寧な応対のため「それは残念です」と了解しておいた。

もうすぐ鬼の洞窟行きのバスが出ますよと急かされて、洞窟見学の流れになった。見るからに、耐用年数はすでに過ぎた乗り合いバスに飛び乗る。洞窟山頂までおよそ10分だ。バスの幅いっぱいの、くねくね道を遠足気分になる。途中で気がついたが、沿道は桜が満開で山頂まで楽しむことができた。桜のトンネルを使用期限が過ぎたバスがゆく。瀬戸内の小さな島ならではの郷愁を味わった。

女木島鬼の洞窟行きのバスの中から
バスで鬼の洞窟に向かう

(3)何十年ぶりかの鬼の洞窟である。かつての記憶は全くないが、入り口から内部の洞窟、出口にいたるまで、鬼の「人形」が鎮座しているのには驚いた。もし「人形」がなければ、鍾乳洞のような奇岩珍岩がある訳でもなく、ただの「ほら穴」が右左にいくつも確認できるだけだ。

大正3年、高松市鬼無町の橋本仙太郎により発見されたそうだが、詳細な説明はどこにもない。ご承知の<桃太郎伝説>だけが鬼が島のよりどころだ。

作品040(カタツムリの軌跡)が洞窟のなかにあった。円筒形のスクリーンにアート映像が浮かんで動画となっているが、洞窟や鬼との関連性が感じられない。映像なので屋外ではだめなのであろう。見学している人が、「何が何だかわからない」と話し合っていた。

(4)女木港周辺に折り返して、港の突堤に作品031(カモメの駐車場)があった。これは島の港の風景と一体化しており、大いに評価したい。風の向きによってカモメが動いて、風見鶏となっている。漁をする人たちにも、風向と風力の確認ができるという利用価値があろう。

この現代アートは実にわかりやすく、老若男女を問わず、誰にでも親しめる要素を持っていると思う。まさにその場所における作品であり、他の場所では似合わない。

作品037(不在の存在)は、ベネッセ管理である。パスポートがなければ300円が必要。空き家を改装して中庭に、誰もいないのに足音と庭の土が動くという凝った仕掛けのアートだ。レストランにもなっている。これは女木の島でなくても場所を問わない作品である。

■4 月5 日(金)メモ■

  1. 女木島では平地が少なく、生活そのものがたいへんなところだ。石の壁を築き、段々畑をつくっている。廃屋があちこちにみられる。瀬戸芸祭が真に地域振興になればと思う。
  2. 年輩の地元人が、畑仕事をしたり、おしゃべりしている。来訪者には無関心なようだ。前回の芸術祭での喧騒に懲りているのかも知れない。再びの芸術祭の感想を聞いてみたいものだ。

(つづく)

田村彰紀/月報350号(2013年9月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その7 番外/岡山・瀬戸内市立美術館~

この試論も4回目(編注:元稿)を数える。瀬戸内の島々のうち、小豆島(土庄)、沙弥島(坂出)、宇野港(岡山)、高松空港・屋島、直島の芸術祭を巡ってきた。

今回は閑話休題も盛り込むことにした。現代アートのジャンルとして、今まさに主流となりつつあるインスタレーションの世界である。現代アート(芸術)は、従来の伝統的古典的芸術(絵画、彫刻、陶芸など)に対して反旗を翻しているようだが、一方で「混沌とする現代芸術」という表現も散見される。

瀬戸芸祭を機会に、現代アートの評価と地域に及ぼす環境変化に注目して試論としてみたい。

7.番外/岡山・瀬戸内市立美術館

 

(1)3月29日(金)に日本テレビの<未来シアター>で「塩の芸術家・山本基」を見た。

山本基は、『生まれ消えゆく一瞬のアート』をコンセプトにして、塩だけで繊細なアートをつくり上げる。世界ではただひとりのアーチストのようだ。岡山の瀬戸内市立美術館で、「山本基展 たゆたう庭ー塩のインスタレーションー」が開催されているとの情報を得たので車を走らせた。久しぶりの瀬戸大橋を走ったが、あいにくの雨で瀬戸内の景色は何も見えない。

瀬戸内市は、「2004年11月1日に牛窓町、邑久町、長船町が合併してできた、豊かな自然と歴史を活かした交流と創造の都市です」とホームページにある。

瀬戸大橋を渡って、早島ICから国道2号線に入り、岡山ブルーラインを走っていく。かなりの距離を走り、旧・牛窓町役場の3・4階が瀬戸内市立美術館だ(平成22年10月開館)。南には瀬戸内海が一望できる。

(2)「山本基展 たゆたう庭ー塩のインスタレーションー」の第一印象は、何がきっかけで塩アートを生みだしたのかである。説明によると、展示が終われば「塩」作品をつぶして、その塩材料を海に還してやるプロジェクトまでが彼の作品だそうだ。

ここでの作品は、塩60㎏を使用したという。制作期間は8日間、100時間をかけている。山本ひとりの孤独な作業らしい。接着剤も使わないため、作品完成すると若干の水分を吹きかけて作品を安定させるそうだ。作品自体はその現場で写真にしていなかったので紹介することはできない。

■4月2日(火)メモ■

  1. 展示が終われば、作品をつぶすことを前提にしている。もっとも、存続させるとなると維持管理がたいへんであるが。
  2. 現代アートのうち、多くがその場所に恒久設置される(することができる)かもしれないが、<無に帰す>ことの意味をどう考えるべきか。
  3. 芸術作品を時間的価値との関係で考えることができる。現代アートは時間を経ると古典アートあるいは伝統的芸術と位置付けられるか。また、屋内を前提とした芸術、屋外を想定したアートという場所的相違をどのように考えるか。これはアート作品の趣旨、目的に依るか。例えば絵画・彫刻・襖絵(屋内)、意匠建築・シンボルタワー(屋外)の場合はおおむね理解できそうである。
  4. 一般に、これまでの芸術作品は、美術館や博物館などに保管展示されることを前提にしてきた。しかし、庭園や公園などでオブジェ作品が常態として鑑賞できるようになった。さらに、山本基作品のように、一期一会のアートというジャンルが出現した。ついに混迷する芸術史の時代を迎えたのであろうか。

(つづく)

田村彰紀/月報350号(2013年9月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その6 直島~

(2)本村地区で気掛かりなことをひとつ。

本村地区は住居が密集しており、路地が迷路となっている。案内ボランティアに「地元の方の姿が見えませんが…」と問いかけると、「芸術祭の期間中はとくに、家の外には出てこないんです」という。島外からの芸術客が右往左往しながら作品鑑賞するうえに、車の往来が激しくなって危険を感じているという。

もうひとつ。作品を探しながら路地をあちこちするので、自然と普通の民家の玄関、庭先を問わず「鑑賞」することになる。他人が日常生活の様子を覗きこむことが当然の如くとなる。そうあってか、本村地区のどの民家も、外から見える範囲は手入れが行き届いていることに気がついた。玄関先におしゃれな暖簾(のれん)が掛けてあるのは、ベネッセの家プロジェクトの一環だそうだ。

(3)本村地区から宮浦港まで歩いた。およそ30分、直島の空気を感じることができた。

先を歩くお年寄りが、遊んでいる2 人の子どもに声をかけている。直島はみんなが知り合いなのである。本村地区の家プロジェクトで感じたような、緊張した空気は全くない。沿道では数人の年輩者が和気あいあいとおしゃべりをし、道路の向こう側を歩く人と声を掛け合っている。これが日常の直島である。現代アートについておしゃべりしているとは思えない。

■3 月 30 日(土)メモ■

  1. 本村地区の家プロジェクトは、新進気鋭のアーティストの制作の場と作品発表の場を提供している点では評価できる。
  2. あちらこちらにカフェや食事処を配置し、記念グッズなども販売している。日常生活品を扱う商店はない。
  3. 家プロジェクト鑑賞では、写真撮影、作品に触れることも禁止である。恒久作品としての著作権が関係するものだろう。ただし、家プロジェクトではないが、宮浦岩壁に草間弥生の「赤かぼちゃ」がある。これは自由に触れて遊べる作品である。
  4. 家プロジェクトの現代アートには、作者の意図が不可解なものが多い。作品から迫ってくるものがない(共感、感動)。また、地域の日常に溶け込んでいるかといえば、そうでもない。現代アートと地域政策はマッチするのだろうか。

(つづく)

田村彰紀/月報349号(2013年8月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その5 直島~

 

6.直島

 

土曜日の直島行きフェリーは船客でいっぱい。久し振りの1時間の船旅は非日常を感じさせる。

(1)本村地区のメインは「家プロジェクト」だ。まずは、最近完成して人気のある作品003(ANDO MUSEUM 安藤忠雄)に向かう。この地区は狭い路地が迷路のように走っていて、角々に立っている案内ボランティアのガイドは的確である。

古い民家の内部に、安藤らしくコンクリートを斜めに組み込んでいる。外光を巧みに計算して、角度をつけたコンクリートに反射させている。したがって民家の内部は明るい。聞くと、民家の庭をなくして斜体のコンクリートを設置したとのことだが、元が民家だけに屋内のコンクリート壁には違和感がある。

民家を支えている梁(木材)とコンクリート壁のコントラストが面白い点であろうか。もちろん居住は不可能で、意匠建築の粋を追究した作品なのであろう。また、地下ホールを新たにつくっている。これも何を主張しているのか分からないが、玄関先にあるガラスの三角錐から光を取り入れる工夫がされている。パリのルーブル美術館にあるガラスのピラミッドにヒントを得たものか。

次に、「角屋」、「護王神社」、「南寺」、「はいしゃ(歯医者)」、「碁会所」と迷路に点在する作品を廻った。

護王神社の境内に並んでいる寄付石を何気なく見ていると、「社殿一式 福武総一郎」とあった。神社の社殿そのものを作品とする方法としては、最善の知恵と手段なのかもしれない。「社殿一式」寄付とすることで、自由な作品に強引転化したものだろう。芸術は神をも越えてしまうのである。

「角屋」は民家の座敷部分にプールを作って、電飾が浮いている様を展示している。もちろん足を踏み入れると真っ暗である。目が慣れてくるとプールに色彩のある造形が浮かび上がってくる。

「南寺」はこちらも内部が真っ暗な闇の世界。安藤設計の建築家屋に入ると、正面にぼんやりとスクリーンのようなものが感じられる。ぼんやりしたスクリーンに何が現れるという訳でもない。結局、何を主張しているのか、それがどうしたといった作品である。闇の中の白っぽいスクリーンが作品らしい。どの鑑賞者も感想を述べ合うという雰囲気ではない。

「碁会所」は4畳半の座敷に木彫りのツバキを散らしているだけだ。案内ボランティアに聞くと、ここに碁会所らしき建物があった訳ではないらしい。「はいしゃ」は、かつての歯医者住宅を活用して、いたるところにペイント、造形物を配置したものだ。現代アートとしてよく見る作品である。

(つづく)

田村彰紀/月報349号(2013年8月号)

 

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その4 高松空港・屋島~

 

5.高松空港と屋島

 

(1)花曇りか中国の黄砂かは分からないが、空に音はすれども機影は見えない。この日、高松空港の駐車場は盛況で、空き場所を探すに苦労した。年度末であり、観光客だけが空港を利用しているのではないことを再認識させられた。

国際線搭乗口に作品147(ウエルカム/2作)がある。2階までの吹き抜けに金色の四角柱(正確には4面それぞれに金色を吊るしている)を造形している。ただ、階段と横柱が迫っており、窮屈な印象だ。展示場所の選定や空間の活用などの制約を脱し切れていない。作品自体は、現代アートにありがちな、「これは何だろう」の類だ。

空港管理会社に勤務する友人の説明では、海外から香川県への来客を歓迎している作品だという。同時に、作品の周囲に立入禁止のロープが張られており、作者はこれを嫌がっていると付け加えた。間違っても、「禁止ロープ」は作品の一部ではないと主張しているそうだ。ごもっともである。

もう1作は、2階南面ガラスに特殊フィルムを2枚貼り付けて、見る方向と光線の具合により色彩変化する工夫がなされたものだ。金色四角柱が上下方向にたいして、フィルムガラスは水平方向に設えているアイデアになっているそうだ。

(2)高松空港の2作品を鑑賞したあと、「そうだ屋島 いこう!」と瀬戸内海方面に足を延ばす。

屋島には1点だけ作品があるはずだ。かつてのケーブルカー乗り場に車を置く。ちょうど年輩夫婦がウオーキングで作品を見に行くというので、これ道づれと後に従った。適当な登山ルートが見つからず、ついに「ケーブルカー保線路」を登ることとなった。

かなりの急こう配ながらも、年輩夫婦は1歩1歩と無理のないステップだ。途中3回ほど休んで、屋島の下界を見下ろす。ケーブルカーが交差するところが中間点である。線路は錆びついていて痛々しい。幸い足元の雑草は青い芽を出したところだ。桜の木も見当たらない。やがてトンネルが見える。その先には山上駅があるので、勢いを新たにしてステップを強くする。

年輩夫婦の情報によると、地元では屋島名物のケーブルカーを復活させようとの話があるそうだ。ケーブルカーの窓から顔を出している「ゆるきゃらタヌキ」を考案すれば復活話の起爆剤になるかもしれない。

(3)屋島山上駅は放置の状態である。作品146(美しく捨てられて)は、駅舎の入り口に大きな鏡とフェイク(=模造品、にせもの)の影を造形して、駅に新たな光をもたらすとの説明である。作者はトリックアートを得意としており、名実ともに山上(廃止)駅にピッタリの作品だ。

屋島山上駅
屋島山上駅

案内ボランティアの説明があった。作品制作では、屋島が国立公園内にあって、大きな形状変更は認められないこと、山上駅の内部にトリックアートを設えることは、施設が老朽化しており、危険性があることの指摘を受けたそうだ。そこで考えに考え抜いて、駅舎には触れずに、屋島にあたる太陽の光を受けた「影」を足もとに再現している。見事な発想で、屋島山上駅への希望を表現したものになった。思想性に満ちた深い作品だ。芸術祭が終われば、当然に撤去されるのが残念である。

(つづく)

田村彰紀/月報348号(2013年7月号)

◇2014年6月『住民と自治』&香川自治研「月報」をお届けします

◇6月『住民と自治』の主な記事

●特集●平成の大合併を検証する

  • 「平成の大合併」15年目の検証―もう一つの自立・連携型自治を求めて 加茂利男
  • 住民から自治を遠くした平成の大合併―合併の圧力に屈しなかった日野町
    インタビュー 藤澤直広日野町長に聞く
  • 合併後15年を経過した兵庫県篠山市
    ―合併算定替え措置の終了と「篠山再生」のゆくえ―  柏原 誠
  • 合併後行政サービス悪化―住民自治の機能が今後の課題  河村 穆
  • 広域合併した長岡市と佐渡市、
    自立を選択した粟島浦村と出雲崎町の特徴を検証する  高橋 剛
  • 平成の合併検証―合併で自治体はどうなったか―三重県の急がれる合併検証  新家忠文
  • 書評 黒田兼一・小越洋之助編『公務員改革と自治体職員』  緒方桂子
  • 公務員になったあなたへ―自治体職員としての気概  晴山一穂
  • 韓国地域財団創立10周年記念シンポジウムに参加して  川瀬光義
  • 自治体初の原発裁判 安倍政権の原発推進にストップかける闘いを  紺谷克孝
  • 第56回 自治体学校in仙台からのお知らせ

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◇6月「月報」の記事

  〇 平成26年度香川県当初予算を議論する 田村彰紀

  〇瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論(⑬) 田村彰紀

  〇いいかげん地域学(その5・こんぴらを追う2) 佐藤孝治

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◆香川自治研ホームページを更新中です。瀬戸芸祭レポートが読みやすくアップされています。

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その3 宇野~

 

4.岡山・宇野港

 

(1) 今日も青空が広がっている。10:00高松発の四国フェリーで宇野港まで1時間。船客は20人余で、芸術祭客らしきは2~3人だ。それでも小豆島、女木島、男木島方面へのフェリー乗り場には行列が見られた。若い人たちがガイドブックを手にしているので芸術祭客だと分かる。

宇野港の芸術祭案内場は、プレハブ式だが幟や看板でけっこう賑わっているかに見える。いつものように、作品案内と宇野港の地図をいただく。記念にフラッグ型ハンカチを買い求めた。

JR宇野駅前に「海の贈り物」オブジェが天空を突いている。海の生き物が天をめざして駆け上がっているところが面白い。案内図を片手に、突堤の先端に向かって歩く。作品152「宇野のチヌ」と作品153「舟底の記憶」が異様な雰囲気で迎えてくれる。どちらも日常の廃材、漂流物を素材にして、宇野の魚とスクリューを組み合わせている。「遠くから鑑賞すべき作品ですね」とお年寄り集団がつぶやいていた。

宇野は臨海港湾産業都市であるとともに、「連絡船の町」であった。人口の激減は、昭和49年のオイルショックからはじまって、今にその余韻を引きずっている。人口ピークは昭和50年の7万8千人で、現在は6万4千人である。その間に、瀬戸大橋や明石大橋の開通により、「連絡船の町」は交通環境の変化が直撃しているかのようだ。

港湾産業(造船など)や連絡船の廃止などで、広大な岸壁や突堤が広大な空間として残されているのが現状である。

その広大なスペースの有効利用計画も策定されているようだが、遅々として進んでいないようだ。突堤には「愛の女神像」「碇のオブジェ」、かつての商店街には芸術写真やシャッター壁画ペイントがある。「連絡船の町」の将来テーマは、<音と写真の町>に生まれ変わろうという方針らしい。なぜ音と写真の町なのかが分からない。

(2) 宇野の街中を歩く。宇野・築港周辺マップを片手に、もう一方でデジカメを構える。おおげさに散策ルートを考慮しないでも、およそ1時間ほどで一回りの見学はできる。JR宇野駅舎にターミナルの風情、かつての造船工場の残されている「おばけ煙突」、商店街はシャッターと間口の狭い飲み屋、旅の宿の看板が淋しい。空き店舗や空きスペースを利用して、アート工房や若いアーチストが巨大な造形作品に挑戦している。また、散策していると、かつての連絡船係留岸壁遺構やちょっとしたメモリアルパークが整備されているのが連絡船の町を思い起こさせる。

宇野駅北側から宇野港を望む
宇野駅、宇野港を望む

■3 月26 日メモ■

  1. 臨海港湾産業の衰退のど真ん中で、文化芸術による「町おこし」が可能か。
  2. 「音と写真の町」をめざしているようだが、地域人の関心度合いはいかがであろうか。
  3. 人口6万の町では、地域外からのアーティストの活躍に期待せざるを得ないか。

(3) ここで文化経済学的な考察

芸術作品を分類してみる。絵画、彫刻などの個別分類では複雑怪奇となる。そこで、文化経済学的に文化芸術を商品に見立てて、<生産~流通~消費>過程のうち<消費>に注目してみる。

すなわち、芸術作品は①ただちに消費されてしまう場合(作品の消失)と②消失されずに物質として維持されるもの、に区分されるとする。例えば、①の芸術作品としては、料理、演劇、芝居、音楽などがある。これらは味わったり、鑑賞してしまえばたちまち消失する。例え映像化されても、食味、その場の感動、共感などは再現されない。つまり「ほんもの」ではなくなる。②は、絵画、彫刻、オブジェ、建築などである。これらは美術館などに展示され続けていると、正の外部性として威光を放つ。歴史的変遷を経ると<ヘリテイジ>なものとなる。劣化や滅失は考慮外とする。

一方で、芸術作品の生産過程をみる。①、②ともに人間の働きかけがあってはじめて作品となることに共通性が認められる。流通過程では、①は非流通性となり、②は流通性が可能である。芸術作品を消費段階で捉えたときにはじめて、文化的価値に性向(性質の傾向)区別ができ、①では限定的な消費者(享受者)となり、②では不特定多数の時間制限のない享受を得られるであろう。

これらを瀬戸芸祭の特徴である現代アートに適用してみると、現代アート作品、アートイベントなどのインスタレーションは、「期間が終われば撤去」されるとされており、どちらかというと①分類で属すと考えられるだろう。限定された消費者(享受者)の一時的な感動と共感を現代アート作品は与えるのみである。

(つづく)

田村彰紀/月報348号(2013年7月号)