瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その8 女木島~

 

8.女木島

 

(1)天に雲ひとつなく快晴だ。急いで「瀬戸芸祭ガイドブック」を開き、女木島行の船便を調べる。高松港~女木島~男木島を航行するフェリーは、便数が少ない。平日だが人気の女木島なので、混雑具合を見計らう必要があるためだ。大混雑であれば、小豆島の草壁方面に切り替える算段にしていた。

切符販売の窓口に聞くと、積み残しが出ることはないとの情報であったので、予定通り女木島を散策とした。それでもフェリー客室は大勢の人で、座席の空きはない。

目立つのは中高年のグループで、リュックを背負い、なかにはストックを用意しているものもいる。あとは子ども連れの家族で、これは春休みのピクニックといったところだ。

女木島は高松港から見える位置にある。船内放送によると、「めおん2」の全長やら定員などの解説の後、「15分間の船旅をお楽しみください」とのこと。よくできたもので、英語でも説明をしている。見渡すと数人の外国人も乗船していた。

(2)女木島は通称<鬼が島>と呼ばれている。瀬戸芸祭インフォーメーション「鬼の館」で、作品設置場所と散策ルートの地図を求めたが、「もうないんです」の返事だ。コピーすれば難ないことだが、あまりにも丁寧な応対のため「それは残念です」と了解しておいた。

もうすぐ鬼の洞窟行きのバスが出ますよと急かされて、洞窟見学の流れになった。見るからに、耐用年数はすでに過ぎた乗り合いバスに飛び乗る。洞窟山頂までおよそ10分だ。バスの幅いっぱいの、くねくね道を遠足気分になる。途中で気がついたが、沿道は桜が満開で山頂まで楽しむことができた。桜のトンネルを使用期限が過ぎたバスがゆく。瀬戸内の小さな島ならではの郷愁を味わった。

女木島鬼の洞窟行きのバスの中から
バスで鬼の洞窟に向かう

(3)何十年ぶりかの鬼の洞窟である。かつての記憶は全くないが、入り口から内部の洞窟、出口にいたるまで、鬼の「人形」が鎮座しているのには驚いた。もし「人形」がなければ、鍾乳洞のような奇岩珍岩がある訳でもなく、ただの「ほら穴」が右左にいくつも確認できるだけだ。

大正3年、高松市鬼無町の橋本仙太郎により発見されたそうだが、詳細な説明はどこにもない。ご承知の<桃太郎伝説>だけが鬼が島のよりどころだ。

作品040(カタツムリの軌跡)が洞窟のなかにあった。円筒形のスクリーンにアート映像が浮かんで動画となっているが、洞窟や鬼との関連性が感じられない。映像なので屋外ではだめなのであろう。見学している人が、「何が何だかわからない」と話し合っていた。

(4)女木港周辺に折り返して、港の突堤に作品031(カモメの駐車場)があった。これは島の港の風景と一体化しており、大いに評価したい。風の向きによってカモメが動いて、風見鶏となっている。漁をする人たちにも、風向と風力の確認ができるという利用価値があろう。

この現代アートは実にわかりやすく、老若男女を問わず、誰にでも親しめる要素を持っていると思う。まさにその場所における作品であり、他の場所では似合わない。

作品037(不在の存在)は、ベネッセ管理である。パスポートがなければ300円が必要。空き家を改装して中庭に、誰もいないのに足音と庭の土が動くという凝った仕掛けのアートだ。レストランにもなっている。これは女木の島でなくても場所を問わない作品である。

■4 月5 日(金)メモ■

  1. 女木島では平地が少なく、生活そのものがたいへんなところだ。石の壁を築き、段々畑をつくっている。廃屋があちこちにみられる。瀬戸芸祭が真に地域振興になればと思う。
  2. 年輩の地元人が、畑仕事をしたり、おしゃべりしている。来訪者には無関心なようだ。前回の芸術祭での喧騒に懲りているのかも知れない。再びの芸術祭の感想を聞いてみたいものだ。

(つづく)

田村彰紀/月報350号(2013年9月号)