瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その6 直島~

(2)本村地区で気掛かりなことをひとつ。

本村地区は住居が密集しており、路地が迷路となっている。案内ボランティアに「地元の方の姿が見えませんが…」と問いかけると、「芸術祭の期間中はとくに、家の外には出てこないんです」という。島外からの芸術客が右往左往しながら作品鑑賞するうえに、車の往来が激しくなって危険を感じているという。

もうひとつ。作品を探しながら路地をあちこちするので、自然と普通の民家の玄関、庭先を問わず「鑑賞」することになる。他人が日常生活の様子を覗きこむことが当然の如くとなる。そうあってか、本村地区のどの民家も、外から見える範囲は手入れが行き届いていることに気がついた。玄関先におしゃれな暖簾(のれん)が掛けてあるのは、ベネッセの家プロジェクトの一環だそうだ。

(3)本村地区から宮浦港まで歩いた。およそ30分、直島の空気を感じることができた。

先を歩くお年寄りが、遊んでいる2 人の子どもに声をかけている。直島はみんなが知り合いなのである。本村地区の家プロジェクトで感じたような、緊張した空気は全くない。沿道では数人の年輩者が和気あいあいとおしゃべりをし、道路の向こう側を歩く人と声を掛け合っている。これが日常の直島である。現代アートについておしゃべりしているとは思えない。

■3 月 30 日(土)メモ■

  1. 本村地区の家プロジェクトは、新進気鋭のアーティストの制作の場と作品発表の場を提供している点では評価できる。
  2. あちらこちらにカフェや食事処を配置し、記念グッズなども販売している。日常生活品を扱う商店はない。
  3. 家プロジェクト鑑賞では、写真撮影、作品に触れることも禁止である。恒久作品としての著作権が関係するものだろう。ただし、家プロジェクトではないが、宮浦岩壁に草間弥生の「赤かぼちゃ」がある。これは自由に触れて遊べる作品である。
  4. 家プロジェクトの現代アートには、作者の意図が不可解なものが多い。作品から迫ってくるものがない(共感、感動)。また、地域の日常に溶け込んでいるかといえば、そうでもない。現代アートと地域政策はマッチするのだろうか。

(つづく)

田村彰紀/月報349号(2013年8月号)