瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その20 本島(続)~

(3)笠島伝統的建造物群保存地区

本島港から笠島地区までをぶらりと徒歩で散策しました。コミュニティバスの便数が少ないのが一因ですが、秋の好天に恵まれて、他の瀬戸芸祭鑑賞者など道づれが少なからずいたことが気楽な散策となったものです。マップをみて、本島港から笠島地区まで2.2キロメートルを歩きました。

本島中学校、本島小学校と過ぎて、ルート沿いに点在する作品を鑑賞できました。山根という地区から甲生口を進んでいくと、瀬戸内の美しい景観が飛び込んできます。新在家海岸からは瀬戸大橋が手に取るような近さにあります。瀬戸内の青と秋空の澄み切った青を瀬戸大橋が区切っています。瀬戸大橋の架橋から25年、いまや瀬戸内海の景色としてすっかり溶け込んでいるようです。

新在家海岸から坂を少し登って、少し下ったところが笠島地区です。伝統的建築物の甍(いらか)と路地が目に入ります。来島者はまばらでした。保存地区は静まり返っており、住民の方の姿は見かけません。

ネットから笠島地区の概要を見てみましょう。塩飽諸島の中心地である本島の笠島は戦国時代までは塩飽水軍の本拠、江戸時代には水運の要所として栄え、廻船問屋を中心に町並みが形成された。江戸時代初期まで繁栄していたが同業者の乱立により次第に衰え、1720年代に幕府からの命で廻船問屋と船舶を大阪の廻船業者に譲ることになる。その後笠島の人々は船舶建造の技術を生かし、家の大工「塩飽大工」として日本各地で活躍した。彼ら塩飽大工は、年に数回笠島に戻る度に家屋を手入れした。そのため江戸時代の町並みがほぼ完全な形で保たれている、とありました。

1985年には重要伝統的建造物群保存地区として選定され、家屋の修復等保全が進んでいます。町並みは廻船問屋など豪商の屋敷や町屋などから成り、小さな町ながらも道を鍵型につけるなど防衛的な配慮もなされているようです。3軒の屋敷が一般に公開され見学することができます。笠島まち並保存センターの看板が見えましたので、静粛に中を覗いてみました。そこは真木(さなぎ)邸宅で、塩飽諸島を統治する年寄を務めた家柄のとおり、ナマコ壁の土蔵が偉容を誇っています。

邸宅内を拝見しました。家柄にふさわしく、江戸期の興隆を物語る歴史的調度品や古文書、立派な墨絵の屏風、中庭タタキはカマバと大釜、堅固な石で作られた深井戸が存在感を増しています。さらに内土蔵がふたつ、重要な扉が威厳的です。

真向かいに「真木邸」の表札が見えました。ここは、ふれあいの館として自由に見学できます。表札の真木邸は、「まき邸」と読み、まち並保存センターの「さなぎ邸」とは新家・本家の関係だそうです。新家の「まき邸」は、かつて神戸(大阪?)で財を成していた頃に、通称「まき」邸と呼ばれていました。それがそのまま「まき邸」として残ったものです。典型的な田の字型の四間取りが確認できます。真木(さなぎ)邸内を案内していただいた当主(?)によりますと、最近は笠島地区も空き家が多くなり、建物の維持管理に苦労しているとのことでした。

(つづく)

田村彰紀/月報361号(2014年8月号)